西品川在住・岸 なみ さん
私の家は、この辺りでは古い方で明治のまえあたりから居たみたいです。父が三代目、私たちが四代目、息子たちが五代目になります。
父は真面目な勤労家で農業一筋に生きた人でした。この辺は高台でしたから見渡す限り畑で、新幹線、妙光寺、そよ風公園のあたりは田圃でして、イタチやモグラがいました。寂しい所でした。
明治二十四年生まれの母が、城南小学校に通っていましたので、学校の帰りにお使いを頼まれて、買ってくるのが恥ずかしくて嫌だった、と言っておりましたのでこの辺は本当に商店が無かったのでしょうね。
三木通りの裏通り(谷岸さんの先)に綺麗な水が、コンコンと湧き出ていて、近所の人達が市場に出すお野菜を洗ったりする大きな洗い場がありました。木型屋さん、質屋さんのそばで、最近はわかりませんが、蓋をしてあるという話です。水脈がまだあるのでしょうね。
三木通りには、どこから来ているか判りませんけれど、戸越の方から流れてくる川があって、そこで洗濯をしていました。上流に、なめし革屋(革製品)さんがあって、時々川が真っ赤になりました。三菱金属のあたりにも、小さな川があって、しじみ取りに行きました。
関東大震災の時は、とても恐ろしく、今でもはっきり覚えています。家は瓦が落ちただけでしたが、また大きい地震が来るのが心配で家の中に入れないで、お風呂場で食事をしたり、庭で野宿をしていました。井戸の側はすごい地割れで五センチくらいの亀裂がたくさん出来ていました。
家の裏が竹藪だったので、地震の時は竹藪が安全と、近所の人達が、大きい地震が来るたびに非難していました。町会の人達が、ライスカレーの炊き出しをしてくれて、私は生まれて初めてカレーライスを食べました。
どの位この騒ぎが続いたのか分からなかったけれど、よそに出かけていた叔母が、二日ぐらい帰ってこれなくて心配したので、しばらくは続いたのでしょうね。
震災後は、急に物資が高くなって、お嫁に行く叔母に良い物を持たせてやれなかったと、母は言っていました。その頃は、お嫁に行くのも歩いて行ったのですよ。夜、提灯をつけて、近所の人達に送られていきました。今は遠い昔の思い出となっております。
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この昔話は、
しながわ観光協会さんのご厚意により、
大崎第二地域センターが発行している「ふれあい」から転載させていただきました。
品川区のホームページ内にある
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