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[昔話] 第2回 大切な命
西品川在住・六十路(むそじ)さん(明治40年生)

 生まれたのは五反田。当時は「八ツ山」と言われ、たんぼばかりで、かやぶき屋根の家で育ちました。駅では書生さんが、バイオリンをひきながら古本を売っており、人力車がいつも2,3台客待ちをしていました。日が暮れると脚立を持った“ランプつけ”が道路のランプ灯に火をともしていました。
 西品川には、戦争のはげしくなった昭和20年に越してきました。空襲にそなえて、持ち物袋には常に、赤ん坊のおむつと焼き米の入った茶筒を用意し、庭には防空壕を掘っていました。怖かったのは艦載機で、操縦士が見えるほど低くおりてきて、ねらい撃ちするんです。おぶっている赤ちゃんに焼夷弾が直撃して、「頭に穴があいた」とお母さんが泣き叫んでいる姿が今だに目の前にちらついています。
 結局、西品川に来て一ヶ月で焼け出されました。でも正直なところホッとしました。家があるとB29にねらわれ、その日その日がビクビクの連続でしたから。やっぱり、家より「いのち」の方が大切ですからネー。
 キャベツがどういうふうに出来るかもしらず、苗を買って育て、大きくなってゆくのは楽しみでした。もちとうもろこしを植えて、お昼は毎日とうもろこしでした。焼け出された当時は32才、若くて食べたい盛りに、イモのつるとかイモの粉、大豆の粉も食べました。東上線で買い出しに行き、8貫目(30kg)ものイモで大崎の駅の階段がおりられない、そんな苦労もありました。
 あの当時を思い出すと質素で、それでも命がつながっていた。今は贅沢だと思います。でも平和が一番ですね。

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『しながわ夢さん橋2007』と同時開催された「大崎今昔写真展」で展示された大崎周辺の昔話を、写真展の実行委員会並びにしながわ観光協会さんのご厚意により転載させていただきます。大崎第二地域センターが発行している「ふれあい」に掲載されたインタビュー記事を元に構成しました。また、品川区のホームページ内にある「しながわWEB写真館」では、昔の写真を見ることができます。ぜひ昔話とあわせてご覧下さい。
| 大崎周辺の昔話 | 06:19 | comments(2) | - |
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