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[昔話] 第3回 昔の百反
大崎在住・別府せい さん(明治40年生)

 昭和2年(昔の年で21才に中延の方から文金高島田で人力車にのってお嫁に来ました。
 その頃のこのあたりは一面の畑で、百反通りに面した商店街は、道幅も狭くて、綿屋・髪結い屋・おもちゃ屋・お菓子屋などなど、戸越の方よりずっとにぎわっていました。通りの片側には、小川が流れていて、あわやさんの裏手には水車小屋もあってとてものどかでした。
 当時の子供達は1銭、2銭のお小遣いをもらって駄菓子屋で、マコロン・金平糖など買ったり、手づくりお手玉やおはじきで遊んでいました。学校へは教科書をふろしきに包んで通っていました。
 芳水小学校通りのお稲荷さんの縁日は、百反通り両側に屋台が並び、6の日には大変なにぎわいで、人力車も入れないほど人がたくさん集まり盛況でした。あと楽しみといえば、なんと「大崎キネマ」という映画館や劇場などもあって、庶民のいこいの場所でした。
 一番辛かった思い出といえば、戦争もだんだんはげしくなって、学童疎開で子供達と離ればなれになった時です。芳水小は、西多摩郡の福勝寺に疎開していて、子供達は食べ物が充分でなかったので栄養失調でやせている子ばかりでした。面会にいく時は、全員にわたるように、ふかしいもや配給のコッペパンをためておいて、持っていきました。しかし、我が子があんまりやせているのでびっくりし、縁故疎開にするからと校長先生に許可をもらい、連れて帰り、お医者さんに診てもらったら、「別府さん、もう少し遅かったら駄目でしたよ」と言われ、とても悲しい思いをしました。
 空襲の時は、防空壕に入って避難しましたが、百反の商店街は空襲で皆焼かれ、残ったのはうちの蔵だけでした。

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『しながわ夢さん橋2007』と同時開催された「大崎今昔写真展」で展示された大崎周辺の昔話を、写真展の実行委員会並びにしながわ観光協会さんのご厚意により転載させていただきます。大崎第二地域センターが発行している「ふれあい」に掲載されたインタビュー記事を元に構成しました。また、品川区のホームページ内にある「しながわWEB写真館」では、昔の写真を見ることができます。ぜひ昔話とあわせてご覧下さい。
| 大崎周辺の昔話 | 13:21 | comments(2) | - |
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