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[昔話] 第4回 家は百歳
西品川在住・佐野きく子さん

◆家は百歳
 今回は、三ツ木小学校の前の道(荏原街道)、蛇窪塚の近くにある佐野さんを訪問しました。
「ここに来て50年になります。当時は坂を下ると富士山が見えてよかったのですが、戦後は高い建物ばかりでもう見えません」
「戦争で三木小学校が焼けまして、体育館だけは残りました。庭の大きな門のところに焼夷弾が落ちましたけど、家の前が消防団の詰め所になっていたお陰で消し止めました」
「家は百年近く経っているのでしょうか。私が来た頃、屋根屋さんが『この家は50年経っているよ』と言われ、それから50年ですからネ〜。この変で建築百年というのは、一番古いですね」

◆昔の大崎は、いい町だった
「今の横須賀線は、当時貨物線でしたから、夜中に土手の上をゴトゴトと列車が通っていました。30年前くらいは私の自宅で、やぎを飼っていまして、その土手の草を刈って食べさせ、よかったですね」
「こちらへ来たはじめの大崎は、本当におっかなくて……。明電舎の工場ばかりで、ずーっとへいがあって、お店屋さんは全然ありません。大崎の家は不便な所だとよく言われました。大正末期や昭和の初期はすごく栄えていました。百反通りは演芸場・映画館・車屋さん・ビリヤード・カフェーがありました。今の駅前のマンションの裏あたりは、お米屋さんが3軒、肉屋さんが2軒あり、大きなミルクホールなど、お店は30〜40軒ありました。終戦後になりますと、戸越銀座がにぎやかになりまして……」

◆もっと変わりますョ
「あと5年か10年で、大崎の町も考えられない程変わると思います。『昔の大崎は、こんないい町だったよ』という事を、是非地元の皆様に知って置いてもらいたいと思います。

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『しながわ夢さん橋2007』と同時開催された「大崎今昔写真展」で展示された大崎周辺の昔話を、写真展の実行委員会並びにしながわ観光協会さんのご厚意により転載させていただきます。大崎第二地域センターが発行している「ふれあい」に掲載されたインタビュー記事を元に構成しました。また、品川区のホームページ内にある「しながわWEB写真館」では、昔の写真を見ることができます。ぜひ昔話とあわせてご覧下さい。

また、『大崎一番ブログ』では、大崎周辺の昔話を募集しています。ぜひコメント欄・またはメールにて教えてください。紹介させていただきます。
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